東京地方裁判所 平成9年(ワ)5750号 判決 1998年10月28日
本訴原告(反訴被告)
高橋祥介
本訴被告(反訴原告)
私立学校教職員共済組合承継人日本私立学校振興・共済事業団
右代表者理事長
戸田修三
右訴訟代理人弁護士
水上益雄
主文
一 本訴原告(反訴被告)の訴えを却下する。
二 反訴被告(本訴原告)は、反訴原告(本訴被告)に対し、三四万八八六七円及びこれに対する平成九年一〇月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は、本訴反訴を通じ、本訴原告(反訴被告)の負担とする。
四 この判決は、第二、三項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 本訴
本訴原告(反訴被告)の本訴被告(反訴原告)に対する三四万八八六七円の支払義務のないことを確認する。
二 反訴
主文第二項同旨
第二事案の概要
本訴原告(反訴被告、以下「原告」という。)は、私立学校に勤務し、退職の際に、当時の私立学校教職員共済組合法二五条、国家公務員共済組合法八〇条一項に基づき、私立学校教職員共済組合から退職一時金を受給した。その後の法改正により年金制度が改訂され、右退職一時金の制度は廃止されるとともに、過去に退職一時金を受給した者が退職共済年金を受給するには右退職一時金の額に利子に相当する額を加えた金額を返還しなければならないこととされたため、原告は退職共済年金の受給開始に当たって、私立学校教職員共済組合から右返還の請求を受けた。
本件は、原告が、私立学校教職員共済組合を承継した本訴被告(反訴原告、以下「被告」という。)に対して、右返還義務を定めた規定は原告の財産権を侵害するものであり、憲法二九条一項に反して無効であることなどを理由に右債務の不存在の確認を求め、それに対して、被告が反訴として右金額の支払を請求する事案である。
一 争いのない事実
1 原告の組合員資格の得喪
原告は、昭和三九年四月一日、東京都国分寺市所在の東京経済大学に雇用され、日本私立学校振興・共済事業団法(平成九年五月九日法律第四八号)附則一七条による改正前の私立学校教職員共済組合法一五条により組合員の資格を取得し、所定の掛金を支払っていたが、昭和四九年三月三一日に右大学を退職し、同法一六条二号により組合員の資格を喪失した。
2 原告に対する退職一時金の支給
(一) 原告は、右大学の退職による組合員資格の喪失に伴い、昭和四九年六月二五日、退職一時金として、一〇万六九三五円の支給を受けた(この退職一時金(以下「本件退職一時金」という。)の支給は、昭和四四年度以後における私立学校教職員共済組合からの年金の額の改定に関する法律等の一部を改正する法律(昭和五四年一二月二八日法律第七四号)による改正(以下「私立学校教職員共済組合法昭和五四年改正」という。)前の私立学校教職員共済組合法二五条において準用する昭和四二年度以後における国家公務員共済組合等からの年金の額の改定に関する法律等の一部を改正する法律(昭和五四年一二月二八日法律第七二号)による改正(以下「国家公務員共済組合法昭和五四年改正」という。)前の国家公務員共済組合法八〇条一項に基づく)。
(二) 本件退職一時金の金額は、原告の組合員期間における平均標準給与の月額が八万円、日額が二六六七円であること、原告の組合員期間の月数が一二〇月であること、原告の退職時の年齢が三七歳であることを基礎に、私立学校教職員共済組合法昭和五四年改正前の私立学校教職員共済組合法二五条において準用する国家公務員共済組合法昭和五四年改正前の国家公務員共済組合法八〇条二項一号及び二号により、別紙一<略>のとおり、算出したものである。
3 原告による退職共済年金の請求等
(一) 厚生年金保険法等の一部を改正する法律(平成八年六月一四日法律第八二号)は国家公務員等共済組合法及び私立学校教職員共済組合法の一部を改正しているが、この改正(以下「平成八年改正」という。)前の私立学校教職員共済組合法二〇条二項は組合員に対する長期給付として退職共済年金その他の給付を定め、同法二五条は退職共済年金につき平成八年改正前の国家公務員等共済組合法の関係規定を準用している。この準用により、給付の決定については受給権者の請求に基づいて決定することとされている(同法四一条一項の準用)ほか、退職共済年金の受給権者については同法七六条が、退職共済年金の額については同法七七条が準用されているが、同法附則一二条の三、一二条の七の二、一二条の四の二等も準用されているので、受給権者及び額についてこれらの特例が準用されることとなる。
平成八年七月二三日当時、右のとおりであった。
(二) 原告は、平成八年七月二三日で満六〇歳となったので、平成八年改正前の私立学校教職員共済組合法二五条、国家公務員等共済組合法附則一二条の三により退職共済年金の受給権者に該当し、平成八年八月六日、同法四一条一項に基づき、退職共済年金を請求した。
(三) 原告が私立学校教職員共済組合員の資格を喪失した後における国民年金法五条二項に規定する保険料納付済期間、同条三項に規定する保険料免除期間及び同法附則七条一項に規定する合算対象期間を合算した期間と原告が私立学校教職員共済組合員であった前記期間を合算すると、その期間は二五年以上である(平成八年改正前の私立学校教職員共済組合法二五条で準用する同改正前の国家公務員等共済組合法七六条一項一号参照)。
(四) 原告の生年月日は昭和一一年七月二三日であること、原告の組合員期間の月数が一二〇月であること、組合員期間における平均標準給与の月額は三八万五九五一円であることを基礎に、別紙二のとおり計算をすると、原告の退職共済年金の金額は六九万九三〇〇円となる。
4 法改正の経緯
(一) 国家公務員共済組合法昭和五四年改正により退職一時金の制度は廃止された(退職一時金制度の廃止の理由、廃止に伴い執られた措置については後述する(二八頁<29頁2段21行目>以下)。)。
(二) 国家公務員等共済組合法等の一部を改正する法律(昭和六〇年一二月二七日法律第一〇五号)による改正(以下「国家公務員等共済組合法昭和六〇年改正」という。)により、新たに国家公務員等共済組合法附則一二条の一二が追加された。同条一項は、退職一時金の給付を受けた者が退職共済年金の支給を受ける権利を有することとなったときは、退職一時金(同条項一号)として支給を受けた額に利子に相当する額を加えた額に相当する金額を当該退職共済年金を受ける権利を有することとなった日の属する月の翌月から一年以内に、一時に又は分割して、当該退職一時金を支給した組合又は連合会に返還しなければならない旨を規定し、同条四項は、右の利子につき、退職一時金の支給を受けた日の属する月の翌月から退職共済年金を受ける権利を有することとなった日の属する月までの期間に応じ、複利計算の方法によるものとし、その利率は政令で定める旨を規定している。
(三) 私立学校教職員共済組合法等の一部を改正する法律(昭和六〇年一二月二七日法律第一〇六号、以下「私立学校教職員共済組合法昭和六〇年改正」という。)により、私立学校教職員共済組合法二五条に、国家公務員等共済組合法附則一二条の一二第一項(前段及び第一号に限る。)及び二項から四項までを準用するとの規定が追加された。
(四) 昭和六一年三月二八日政令第五五号により、国家公務員等共済組合法施行令附則七条の三として、右(二)の利率につき年五・五パーセントとするとの規定が追加された。
(五) 昭和六一年三月三一日政令第六六号により、私立学校教職員共済組合法施行令六条に、国家公務員等共済組合法施行令附則七条の三を準用するとの規定が追加された。
5 本件退職一時金の返還義務
(一) 前記のとおり、原告は本件退職一時金の支給を受けているので、平成八年改正前の私立学校教職員共済組合法二五条、平成八年改正前の国家公務員等共済組合法一二条の一二第一項(前段及び第一号に限る。)及び二項から四項まで等の退職一時金の返還に関する規定(以下「本件返還規定」という。)の適用(準用)を受けることとなった。
(二) 本件退職一時金の額は一〇万六九三五円であり、それに対する原告が右支給を受けた日の属する月の翌月である昭和四九年七月から原告が退職共済年金を受ける権利を有することとなった日の属する月である平成八年七月まで年五・五パーセントの割合の複利計算による利子は二四万一九三二円であり、右合計額は三四万八八六七円である。
6 本件退職一時金の返還請求
私立学校教職員共済組合は、原告に対して、平成八年九月一八日ころ到達の同月一七日付けの書面によって、平成九年九月三〇日までに右三四万八八六七円を支払うように催告したが、原告はこれに応じなかった。
7 被告の地位の承継
平成一〇年一月一日、日本私立学校振興・共済事業団法(平成九年五月九日法律第四八号)附則第五条に基づき、私立学校教職員共済組合は解散し、被告がその一切の権利及び義務を承継した。
二 主たる争点
本件返還規定は原告の財産権を侵害し憲法二九条一項に違反するか。
第三当事者の主張
一 本訴請求の原因
1 被告は、原告に対し、本件返還規定に基づいて、本件退職一時金一〇万六九三五円及びこれに対する原告が右支給を受けた日の属する月の翌月である昭和四九年七月から原告が退職共済年金を受ける権利を有することとなった日の属する月である平成八年七月まで年五・五パーセントの割合の複利計算による利子二四万一九三二円の合計三四万八八六七円を請求している。
2 本件返還規定は原告の財産権を侵害し、憲法二九条一項に違反するものであるから無効である。
3 よって、原告は、原告の被告に対する右債務の不存在の確認を求める。
二 本訴請求の原因に対する認否
1 本訴請求の原因1の事実は認める。
2 同2は争う。
三 反訴請求の原因
1 第二の一1、2(一)及び(二)、3(一)ないし(四)、5(一)及び(二)、6並びに7記載の事実
2 よって、被告は、原告に対し、本件返還規定に基づいて、本件退職一時金支給額一〇万六九三五円及びこれに対する原告が右支給を受けた日の属する月の翌月である昭和四九年七月から原告が退職共済年金を受ける権利を有することとなった日の属する月である平成八年七月まで年五・五パーセントの割合の複利計算による利子に相当する二四万一九三二円の合計三四万八八六七円並びにこれに対する平成九年一〇月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
四 反訴請求の原因に対する認否
反訴請求の原因1の事実は認める。
五 主たる争点についての主張
1 原告の主張
(一) 本件退職一時金は、一〇年間の在職期間中に原告及び使用者たる東京経済大学が私立学校教職員共済組合法に基づきそれぞれ私立学校教職員共済組合に支払った掛金に基づいて支給されたもので、これらの掛金の支払は適法であり、したがって、原告の本件退職一時金の受給も適法である。
右のとおり、退職一時金は支払済みの掛金に対する反対給付であり、これは原告の受給後原告に帰属する財産となったものである。右給付後の法改正により原告にその返還義務を負担させることは、以下に述べるとおり、原告の財産権を侵害するもので許されない。
憲法二九条一項は「財産権は、これを侵してはならない。」と規定して、財産権の不可侵を定めている。もとより私権が公共の福祉の実現のために制限されることはあり得るが、それは個人が有する権利の内容・行使が制限されるということである。本件のように退職一時金を支給してから一一年経過後の法改正により、しかもその法改正より更に一二年経過後の原告の退職共済年金受給資格取得時(原告が六〇歳となった時)に、右財産及びそれに対する年五・五パーセントの利子を返還させることは、本件退職一時金が単なる退職一時金に対する「期待権」ではないことに照らしても、原告が退職一時金として取得した財産権を侵害するものにほかならない。
最高裁判所昭和五三年七月一二日大法廷判決(民集三二巻五号九四六頁)は、国有農地売払いに関する特別措置法二条、同法附則二項、同法施行令一条が憲法二九条に違反しないと判断するに当たって、法律でいったん定められた財産権の内容を事後の法律で変更する場合、その変更が当該財産権に対する合理的な制約として容認されるべきものであるかどうかはいったん定められた法律に基づく財産権の性質、その内容を変更する程度を総合的に勘案すべきものと判示しており、本件のように既に個別的に確定した権利こそは、遡及的規制の許されない典型というべきである。
(二) 一般に利子の支払債務を負担するのは、その支払を合意した場合か又は本来支払うべき債務が存在し、これを遅滞するなど、元金を支払わなかったことにつき帰責事由がある場合である。ところが本件返還規定は、原告に退職一時金の返還義務が生じるのが退職共済年金の受給資格が生じたときであるにもかかわらず、退職一時金の支給を受けた日の属する月の翌月から退職共済年金の受給資格を得た日の属する月までの期間について利子を発生させるものであり、元金の返還義務が生じていないにもかかわらず利子を発生させ、その支払義務を負わせるものである。右のように利子支払の合意、元金支払の遅滞等原告に帰責する事由がないにもかかわらず、退職一時金に対する利子の支払義務を規定する本件返還規定は原告の財産権を侵害するものである。
(三) 被告が主張する国家公務員等共済組合法昭和六〇年改正における国家公務員等共済組合法附則一二条の一二の創設及び私立学校教職員共済組合法昭和六〇年改正における私立学校教職員共済組合法二五条の改正の目的が仮に正当であったとしても、その目的を達成するためには、多くの方法を採ることが考えられ、原告に対して、過去に支給した退職一時金を支給後約二三年を経過した時に、年五・五パーセントの複利の利子を付して返還させることしか方法がないということはあり得ない。年金制度をいかなものにするかについて、立法権には裁量権が認められているが、それも憲法の規定の範囲内で行使されなければならないところ、本件返還規定は憲法による財産権の保障を侵害するものである。
(四) 被告は、本件返還規定に基づく本件退職一時金の返還が、私立学校教職員共済組合が原告の脱退時に約束した額の三倍以上の額の退職共済年金の支給を受けるための負担であるかのように主張するが、右増額は自動物価スライド制の導入によりこのような額に改正されたものであって、この退職共済年金の価値そのものは変わっていない。仮に、昭和四九年当時の物価が維持されていれば、原告の受給する退職共済年金の額は原告が退職一時金を受給した当時の制度で計算された通算退職年金の金額である二一万六〇〇〇円であったはずである。したがって、退職共済年金の額が多くなったからといって、原告がより多くの利益を得たわけではない。
2 被告の主張
(一) 共済年金制度のシステムは、従来、基本的には自分の積み立てた掛金等で将来受給する年金を確保するというシステム(以下「積立方式」という。)が採られていた。しかし、このシステムは、国家公務員共済組合法昭和五四年改正及び私立学校教職員共済組合法昭和五四年改正により消費者物価が上昇すればそれに応じて年金額を改定するいわゆる自動物価スライド制が導入されたこと等により、現役世代が年金受給者世代を支えるという世代間扶養のシステム(以下「賦課方式」という。)に転換してきた。したがって、共済年金のシステムが転換する前の考え方により設計されていた退職一時金制度は、昭和五四年改正によって昭和五五年一月一日に廃止されている。
(二) 国家公務員等共済組合法昭和六〇年改正では、全国民共通の基礎年金制度が導入されたほか、従来のままの給付設計では、将来において年金受給者の年金額が現役世代の収入に比べ過大となり、世代間のバランスが崩れることを防ぎ、世代間の公平を図るため、現役世代が将来受ける年金の給付設計を改め、その水準の適正化を図るとともに、既に裁定・支給されている年金水準についても、組合員期間二〇年以上の退職年金等については、減額改定を行う等の適正化が図られている。
また、退職共済年金(通算退職年金)の受給権者が死亡したことにより、その遺族に転給される遺族共済年金の水準については、従来死亡した者が受けていた年金の二分の一であったものを、四分の三に引き上げるという重点的な給付改善が行われている。
このような制度改正の一環として過去に退職一時金の支給を受けた者が退職共済年金を受ける際に当該退職一時金を返還することとされた。これは、<1>原告のように退職一時金を受けて退職した年金受給者と昭和五五年一月以降に退職一時金なしで退職した年金受給者(組合員期間とその給与が同じであれば退職一時金受給の有無にかかわらず年金額は同額)との同一世代内の不均衡、<2>退職共済年金から遺族に転給される遺族共済年金の給付内容の改善が行われること、<3>原告等年金受給者世代の給付に対する負担と現役世代の給付に対する負担との世代間の不均衡、<4>退職年金等の高水準の年金については、実質的な減額改定が行われること等を総合的に勘案し、年金受給世代と現役世代が互いに痛みを分かち合いつつ、世代間の公平を確保するという抜本的制度改正の一環として講じられた措置である。私立学校教職員共済組合の行った退職一時金返還請求は、昭和四九年三月に約束した二一万六〇〇〇円の通算退職年金を支給するために過去に支給したものを返還させるというものではなく、六九万九三〇〇円の退職共済年金(退職共済年金の四分の三の遺族共済年金への転給あり)といういわば新たな給付を支給することに伴う措置である。
(三) 本件返還規定は、年金受給者世代と現役世代が互いに痛みを分かち合いつつ制度の見直しを行い、それによって世代間の公平を確保し、公的年金制度である共済年金制度の長期安定を図るという公共の福祉の実現のために設けられ、私立学校教職員共済組合が原告の脱退時に約束した額の三倍以上の年金額の支給を開始するに際して退職一時金の返還を義務づけたものであるから、原告の主張する財産権の侵害には当たらない。
なお、退職一時金の返還にあたっては、退職共済年金の支給期ごとの支給額の二分の一に相当する金額から、返還額に達するまでの金額を順次に控除する方法も採り得ることとされている。
六 その他の主張について
1 原告の主張
(一) 適法に退職一時金の給付を受けた者が、その後の法改正により遡及して返還債務を負担することは、これによって受ける不利益が著しいから、本件返還規定は公序良俗に違反する。
(二) 本件返還規定は、既に述べた退職一時金の性格からして、憲法二五条で保障された生存権を侵害するものであり許されない。
(三) 本件返還規定は退職一時金の受給後、生存して受給資格を取得した者のみに返還義務を課するものであり、退職共済年金の受給資格を得る前に死亡した者(その相続人)には、退職一時金を受領していても、返還義務を課していない。これは、死者と生存者とを差別するもので、憲法一四条に違反して許されない。
2 被告の主張
右1原告の主張(一)ないし(三)をすべて争う。
原告は退職年金の受給資格を得る前に死亡したときは退職一時金を受領していてもその相続人は返還義務を負担しないと主張するが誤りである。退職一時金を受領した者が死亡したときに、その者の「遺族」が遺族年金の支給を受けることとなったときは退職一時金と利子を加えた額を返還すべき義務がある。
第四当裁判所の判断
一 本訴について
本訴の訴訟物である原告の被告に対する債務は、反訴の訴訟物である被告の原告に対する請求権に包含されるから、反訴請求の当否の判断によって、本訴の訴訟物である債務の存在又は不存在も確定されることになる。
したがって、本訴は当事者間の紛争解決に有効適切な手段とはいえず、確認の利益を欠くから、不適法として却下する。
二 反訴について
1 財産権の侵害について
(一) 本件返還規定の趣旨について
本件退職一時金は、私立学校教職員共済組合法昭和五四年改正前の私立学校教職員共済組合法二五条で準用される国家公務員共済組合法五四年改正前の国家公務員共済組合法八〇条一項及び二項に基づいて支給されたものであるが、これは当時の積立方式の制度の下、組合員が払い込んだ掛金は自らが将来受け取る退職共済年金の原資の一部として払い込んだものであるので、退職共済年金の支給要件である組合員期間を満たさずに退職する場合には、主に組合員が払い込んだ掛金等に相当する額の金員を、それから通算退職年金(当時、退職共済年金が受給できない場合でも組合員であった期間と他の公的年金制度における掛金等の支払期間を合算したものが所定の要件を満たせば、将来、通算退職年金が受給できることとされていた。)の原資相当額を控除した上、退職一時金という形で返還していたものである。
ところが、国家公務員共済組合法昭和五四年改正及び私立学校教職員共済組合法昭和五四年改正において、物価の上昇とともに年金額を上昇させるいわゆる自動物価スライド制度を導入したことにより、従来の積立方式が維持できなくなって賦課方式に移行し、退職一時金返還制度は右改正によって廃止された。
退職一時金制度の廃止に伴い、退職共済年金の受給資格に満たない期間で退職した者が再び組合員となり再退職して退職共済年金の受給権を取得した場合には、退職一時金の対象期間についても退職共済年金の算定の基礎となったので、私立学校教職員共済組合法昭和五四年改正前に退職し退職一時金の支給を受けた者については、その者が再び組合員となり再退職して退職共済年金の受給権が発生した場合には、退職一時金の対象期間についての重複を避けるために、退職一時金の基礎となった期間の年数一年につき、俸給(本給)年額の一〇〇分の一・四に相当する金額を、支給する退職共済年金額から控除することとされた(私立学校教職員共済組合法昭和六〇年改正前の私立学校共(ママ)済組合法二五条で準用する国家公務員等共済組合法昭和六〇年改正前の国家公務員共済組合法附則一二条の三第一号、国家公務員共済組合法昭和五四年改正前の国家公務員共済組合法七六条の三第一号)。
しかし、右の方法によると、退職共済年金額から控除される額が、退職一時金の額に比べて相対的に多額となる場合が多く、国家公務員共済組合法昭和五四年改正及び私立学校教職員共済組合法昭和五四年改正前に退職した者が右各改正後に退職した者と比べ、不利益となる事態が生じていたところ、その点を是正するために、実際に退職一時金として支給を受けた額に予定運用益に相当する額を加えた額に相当する金額をもって調整すれば必要かつ十分であると考えられるに至り、この見地に立って、国家公務員等共済組合法昭和六〇年改正により国家公務員等共済組合法附則一二条の一二が創設され、その一部(同条一項(前段及び第一号に限る。)並びに二項から四項まで)が私立学校教職員共済組合法昭和六〇年改正により私立学校教職員共済組合法二五条で準用されることになったものである。
すなわち、平成八年改正前の国家公務員等共済組合法附則一二条の一二第一項は、同一の組合員期間に関する重複支給の調整として、退職共済年金を支給するに当たりその額を一定の割合に従って減額するという方法を取りやめ、「退職一時金として支給を受けた額に利子に相当する額を加えた額に相当する金額」を基準として設定し、該当者に右金額を支払わせる方法を採用したものであって、同条項の文言上は右金額を当該退職一時金を支給した組合又は連合会に「返還しなければならない」と規定しているが、その趣旨は、右重複支給の調整の基準を右金額に求めるとともに、該当者に右同額の支払義務を課すことにあり、これを分かりやすく表現するために右の文言を用いたにすぎないと解するのが相当であって、その文言を根拠に、過去の退職一時金の受給を事後的に無効とするとともに利子の支払に関して特別な義務を課することを規定したものと解するのは相当ではない。
平成八年改正前の私立学校教職員共済組合法二五条も、右に述べたのと同様の見地から平成八年改正前の国家公務員等共済組合法附則一二条の一二を準用することとしたものと解するのが相当である。
(二) 平成八年改正前の私立学校教職員共済組合法は、私立学校教職員の福利厚生を図り、もって私立学校教育の振興のために制定されたものであるが(同法一条)、同法には右目的のために行う相互扶助事業の一つとして組合員の退職給付を行わなければならない旨定められており(一八条一項二号)、それを受けて同法は共済組合の行う退職給付の根拠法として退職給付にかかる要件、手続等を定めるほか、公正な退職給付をするために組合員の権利及び義務並びに組合員以外の者の義務をも規定するものである。本件返還規定は同法の右目的にかなうものということができる。
(三) ところで、原告は、本件返還規定が公共の福祉実現のための財産権の制約の範疇に属さないものであり、原告の財産権の侵害にあたる旨主張する。
原告の主張は、本件返還規定が原告の過去における適法・有効な財産の取得を事後的に無効とし、それを返還させるものであることを前提にして、財産権の制限の範疇に属さないものであり、また、これは著しく法的安定性を害する法律の遡及適用として許されないことを主張する趣旨と解される。
しかしながら、本件返還規定の趣旨は、前記のとおりであって、原告の過去における適法・有効な財産の取得を事後的に無効とし、それを返還させるものではないと解するのが相当であり、そうだとすれば、その義務を課することが著しく不合理で立法権の裁量の範囲を逸脱していると認められる場合はともかく、そうでなければ財産権の侵害とはならないというべきである。そして、右義務は、既に述べたとおり、私立学校教職員共済組合における公平・適正な退職共済年金制度の実現という福祉目的のために定められたものであり、著しく不合理ということもできない。
したがって、この点に関する原告の主張は採用できない。
(四) なお、原告は、最高裁判所昭和五三年七月一二日大法廷判決(民集三二巻五号九四六頁)を引用し、平成八年改正前の国家公務員等共済組合法附則一二条の一二は、単に期待権を侵害するものではなく、確定的に生じた権利である退職一時金たる財産権を侵害するものであることに照らして許されないと主張する。
しかし、右大法廷判決の事案は、農地の旧所有者の売払いを求める権利が、買収時の低廉な対価相当額でその売払いを求めることができるという内容から、時価の七割相当額を支払わなければ売払いを求められないという内容に変更された場合についての事案であるところ、本件返還規定は、前記のとおり、退職一時金の支給を事後的に無効にして変更するものではなく、新たに義務を課するものであるから、本件は事案を異にするものである。
(五) 原告は、利子の支払義務が生ずるのは、約定によりその支払を合意した場合か本来支払うべき債務が存在し、それを遅滞した場合などのみであるのに、本件返還規定が退職一時金の支給を受けた日の属する月の翌月から退職共済年金を受ける権利を有することになった日の属する月までの期間の利子に相当する額を加えて返還しなければならないと定めたのは財産権の侵害に当たると主張する。
しかしながら、本件返還規定は、前記のとおり、過去の退職一時金の支給を事後的に無効にして、その返還義務が生じていることを前提とするものではなく、同一の組合員期間に関する重複支給の調整のため、受給した退職一時金の額にその予定運用益相当額を加えた金額を基準とすることとしたものであり、本件返還規定における「利子」の文言は、右調整金額の一部が退職一時金の予定運用益相当額であることを分かりやすく表現するために用いられたにすぎないものであると解するのが相当であり、そうであるとすると、原告の主張する元金と利子との一般的関係を前提とする非難は当たらない。
そして、右利子の利率が年五・五パーセントの複利計算によるものとされていることについては、共済組合における財源の運用予定利率が五・五パーセントの複利であること(私立学校教職員共済組合法昭和六〇年改正前の私立学校教職員共済組合法二五条で準用される国家公務員等共済組合法昭和六〇年改正前の国家公務員等共済組合法八〇条一項一号ロ及び三項並びに私立学校教職員共済組合法施行令等の一部を改正する政令(昭和五四年一二月二八日政令第三一五号)により改正された私立学校共(ママ)済組合法施行令一〇条の八によれば、組合員であったものが退職年金、通算退職年金等の受給権を取得しなかった場合に、六〇歳に達したときに支給される脱退一時金には退職した日の属する月の翌月から六〇歳に達した日の属する月の前月までの期間に応ずる五・五パーセントの複利計算の利子に相当する金額が加算されるものとされていた。)に照らし、不合理なものではない。
以上により、この点に関する原告の主張は理由がない。
2 公序良俗違反について
原告は、適法に退職一時金の給付を受けた者が、その後の法改正により遡及して返還債務を負担することは、これによって受ける不利益が著しいとして、本件返還規定が公序良俗に違反すると主張するが、右主張がその前提を欠くことは既に述べたところから明らかであり、採用することはできない。
3 生存権の侵害について
原告は、本件返還規定が、原告の生存権を侵害し、憲法二五条に違反するものである旨主張するが、この点に関する原告の主張は、抽象的に生存権を侵害するというにとどまり、具体性を欠くことに加えて、本件返還規定によって原告の生存権が侵害されるという事実を認めるに足りる証拠はなく、原告のこの点に関する主張は理由がない。
4 憲法一四条違反について
原告は、本件返還規定が死者と生存者を差別するものであり、憲法一四条に違反する旨主張する。
しかし、平成八年改正前の私立学校教職員共済組合法二五条で準用する平成八年改正前の国家公務員等共済組合法附則一二条の一三は、退職一時金を受給した者が退職年金の受給資格を取得する以前に死亡し、その遺族が遺族共済年金の受給資格を得たときには、その遺族は、退職一時金の額にその利子に相当する額を加えた額を返還しなければならない旨規定しているのであって、原告の主張は、右規定に照らし失当である。
5 反訴請求の原因事実については当事者間に争いがない。
したがって、原告は、被告に対し、本件返還規定に基づき、三四万八八六七円及びこれに対する平成九年一〇月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務がある。
第五結論
以上により、原告の本訴は確認の利益がないので不適法として却下し、被告の反訴請求は理由があるから認容することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条を、仮執行の宣言について同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 髙世三郎 裁判官 松井千鶴子 裁判官 植田智彦)